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(1)増産すればいいの幻想の続編です。
前回の記事では、「増産すれば良い」という主張がいかに経済の基本原則から逸脱しているかを指摘しました。なぜ、これほどまでに極端な思考に陥ってしまうのか。鈴木氏の記事を読み解くと、その根底にある「データ軽視」の姿勢が浮かび上がってきます。
”次に、二つ目の「流通実態の把握強化」です。これは、需要に応じた生産を達成するには、需給見通しを正確にしなければならない、今回の米騒動は需給の把握が不十分だったから起きたのだ、という発想に立っています。そのため、流通段階の民間業者に対し、米の量について厳しく報告させる。報告義務の対象業者も増やし、罰則も設けて、報告義務を強化する。しかし、需要と供給はさまざまな条件で変動します。それを正確に把握することなど、そもそもできるわけがない。それなのに、わざわざそこへお金をかけ、業界の負担を増やしてまでやる意味があるのか。(中略)本来、財務省の財政審が言っていたのは、政府備蓄米の保管には年間400億円以上かかってもったいない、流通段階にある民間在庫を民間備蓄として活用すれば16億円で済む、だから国家備蓄を早く減らして民間備蓄にしろ、という話でした。今回の食糧法改定は、そこに基づいています。”
(【鈴木宣弘:食料・農業問題 本質と裏側】危機認識の欠如した「食糧法」改定 |
JAcom 農業協同組合新聞(2026年4月24日)から引用)
鈴木氏は記事の中で、流通段階の民間業者に対するコメの量の報告義務強化(流通実態の把握強化)について、「需要と供給を正確に把握することなどできるわけがない」「お金をかけ、業界の負担を増やしてまでやる意味がない」と一蹴しています。
その一方で、政府備蓄米の保管に年間400億円以上がかかっているという財務省の指摘に対しては、「国民の命を守る安全保障・国防のコストであり、もったいないというのは危機認識の欠如だ」と猛反発しています。
ここに、鈴木氏の論理の致命的な矛盾があります。 「年間400億円以上もの巨額の税金を投じてコメを物理的に山積みすること」には大賛成する一方で、そのコメが国内のどこに、どれだけ存在し、どう動いているのかという「データを正確に把握するためのコストや労力」は無駄だと切り捨てているのです。
需要の正確な予測が困難なのはその通りでしょう。しかし、過去のデータや将来の推計に基づいて全体最適を目指すのは、あらゆる産業が血の滲むような努力で取り組んでいる基本です。データを蔑ろにする大学教授ってなんなんでしょう。
そもそも、「現在の需要と供給の状況」すら正確に把握することを拒否しておきながら、どうして「中国のように1年分(約700万トン)の備蓄が必要だ」という結論に飛躍できるのでしょうか。 基準となるデータを持たずに弾き出された「1年分」という目標値は、何の科学的根拠もない単なる思い付きに過ぎません。「何がどこにどれだけあるか」を把握せずに、ただ倉庫にモノを詰め込むことを「危機管理」とは呼びません。それは単なる「どんぶり勘定」です。
鈴木氏が連呼する「有事」が本当に起きたとしましょう。 仮に国内に数百万トンのコメを備蓄していたとしても、全国の物流網が混乱する中、「どの倉庫に、誰のためのコメが、どれだけあるか」という正確なデータ連携基盤が構築されていなければ、適切な放出など絶対に不可能です。結局、コメは倉庫で腐り、消費地は飢えることになります。
危機管理とは、ただ盲目的に備蓄という名の「モノ」を積み上げることではありません。 平時から官民を挙げたデータ連携を進め、流通の透明性を高め、いざという時に機動的に物資を動かせる「サプライチェーンの強靱化」を図ることです。
「データに基づく適正な需給管理」を否定し、莫大なコストをかけて「見えない在庫」を抱え込もうとする主張は、食料安全保障の根本を履き違えています。私たちは、感情的な「備蓄至上主義」から脱却し、データの価値を正しく評価する現代的な流通ネットワークの構築へと舵を切らなければならないのです。

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