まえがき
本書の執筆に至った経緯は様々なものがある。独立して間もない時期から各地域の特性や社会・競争環境変化に基づく卸売市場の将来ビジョンや改修方針策定に関わる機会を得られたものの、その骨格となる部分を突き詰めたいと感じていたことが一つである。また筆者は食品流通の専門家であるとともに、地方自治体における総合計画の策定をはじめとして広く公共政策支援に関わっていることもあり、「公共政策としての卸売市場」といった視点で整理してみたいと感じていた。しかし、最も大きなトリガーとなったものは2025年(令和7年)11月に公表された「さいたま市中央卸売市場移転再整備事業の中止・廃止」の報せである。本件は検討根拠やそのプロセスについて弊社ホームページ上でも問題点を指摘してきたものであるが、さいたま市による同市場廃止根拠のひとつに2018年卸売市場法改正等により「行政の担う役割が薄れてきている」と記されてた点が最もショッキングなものであった。筆者は本件を語るうえで「財政難によりやむを得ず卸売市場の運営を取り止める」判断には理解を示す立場をとっている。しかし、その根拠として「行政の担う役割が薄れてきている」とする主張には全く賛同出来ない、出来るものでは無いとする立場である。それは何故か、どうしてそうした主張がもっともらしい根拠として挙げられるのか、そしてどうすれば公設卸売市場は持続的運営が可能となるか、を構造的に整理したい、といった動機が本書執筆の原動力となった。
本書はまず第1章として公共政策としての卸売市場政策の動向の整理を試みている。近年の卸売市場の再整備事業を始めとした動向だけでなく、広く地方自治体の公共政策の動向や課題と比較を挟むことで「公共政策としての卸売市場」がどのような位置付けにあるかを整理した。
第2章は本書の核となるテーマであり経済学の概念である価値財の解説をはじめ、その視点から卸売市場とその他の価値財である医療・教育機関との比較から、「行政の担う役割が薄れてきている」主張への反論を行うものである。
第3章では卸売市場が価値財たる所以を卸売市場設立過程から解説することで第2章の内容補強を試みる。また、世界でも独特な卸売市場流通がもたらした影響を近代食品流通史として整理している。
第4章では卸売市場が価値財という視点が広く社会に浸透していない要因を受け手側だけでなく運営側の問題についても構造的に整理することで「行政の担う役割が薄れてきている」主張が何故用いられたのかを検証する。
第5章ではそうした構造の中で価値財として卸売市場が社会に浸透し、発展的な維持・成長に繋げるための提言を整理している。本章では公設卸売市場としての機能拡充案についても紹介している。
本書は対象読者として、公設卸売市場を開設する自治体の卸売市場担当者をメインターゲットとしているが、「卸売市場」を冠した書籍であれば広く卸売市場関係者(卸売業・仲卸売業従事者等)も手にする機会が多いと想定されるため、そうした読者層も意識して執筆している。しかし、期待としては価値財という経済学用語と卸売市場を結びつけ、一般的な価値財として認識されている医療・教育機関との比較を通じて卸売市場の異質性を知ってもらいたい想いがある。そういった意味を込めて卸売市場に馴染みのない読者層にも読みやすく感じてもらえるよう基礎的な内容についても整理をした(第3章がその内容にあたる)。業界関係者は事前情報量に応じて読み飛ばしてもらって結構である。
株式会社ジャスタコンサルティング
代表取締役 石田健太
目次
第1章 卸売市場を取り巻く環境 ─ 公共政策としての現在地
1-1.全国の公設卸売市場に波及する再整備事業の停滞
1-2. 地方自治体を取り巻く公共政策の現実
1-3. 強化と維持の狭間で起きたさいたま市中央卸売市場食肉市場のケース
1-4. 地方行政と卸売市場政策の「強烈な乖離」 ─ なぜ卸売市場だけが高度化を目指すのか
第2章 「価値財」としての公設卸売市場
2-1. 経済学における価値財とは何か
2-2. 卸売市場を価値財と位置づけることの妥当性
2-3. マーケット原理への過信が招く排除と社会格差
2-4. 「行政が担う役割は薄れた」という主張の荒唐無稽さ
第3章 卸売市場の設立過程と近代食品流通史
3-1. 卸売市場流通制度の成立過程
3-2. 「日本型チェーンストア」の功罪
3-3. 卸売市場法改正は「価値財」の放棄ではない ──維持された基本原則と行政の役割
第4章 公共政策としての卸売市場が抱える構造的課題 ──なぜ「価値財」は危機に瀕するのか
4-1. 価値財という社会的認識の希薄
4-2. 単独自治体の財政力に依存する脆弱な存続基盤
4-3. 食料システム法と地方自治政策の矛盾
4-4. 食料システム法による流通コスト可視化の脅威
4-5. 構造的欠陥が招く価値財喪失のメカニズム
第5章 公設卸売市場の持続的発展への提言 ──構造的欠陥を乗り越えるための処方箋
5-1. 参入後の継続的学習と価値財としての存在意義の共通理解
5-2. 単一自治体からの脱却と地域単位のスキーム構築
5-3. 公益と私益の財務的明確化
5-4. 「複合型公共施設としての卸売市場」の提案
